岡山県にある備中松山城は、天守閣の現存する小ぶりな山城。城の歴史は、鎌倉時代にまでさかのぼる。数々の城主を向かえ、修改築が重ねられてきた備中松山城の歴史にクローズアップしてみる。
備中松山城の歴史
備中松山城は、鎌倉時代に臥牛山に築かれた砦をはじまりとする。

室町時代末に毛利氏から織田信長方に寝返った三村氏が、小早川隆景に攻められ落城(備中兵乱)。この備中兵乱の時は、臥牛山全体が一つの大きな要塞となっていた。その後は、毛利氏の拠点となる。
関ヶ原の戦い以後は、徳川幕府が城番を置く。この城番を任されたのが豊臣の家臣でありながら徳川方に味方した小堀氏の小堀正次。小堀正次の子、小堀遠州は、城下町の整備や文化の発展に努めた。
古田織部にも師事し、きれいさびという独自の美意識を生み出し、茶の世界や庭園など文化的な才能も発揮する。小堀遠州のが造ったとされ、高い評価を残す庭園が、備中松山城の城下 頼久寺に今も残る。庭は、サツキなどの植木で青海波が表現され、鶴島 亀島が配置されている。
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