「トライポフォビア(trypophobia)」という言葉を聞いたことはありますか?
比較的最近いわれ始めた言葉で、ギリシャ語でそれは、「穴への恐怖」を意味します。日本では「集合体恐怖症」と呼ばれています。
「穴」への恐怖症なんて理解しがたいかもしれませんが、実際にはネットを中心に世界中で広がりを見せ、6人に1人もの人が、集合体恐怖症である可能性まで出てきました。数だけでみると、これは高所恐怖症よりも高い値です。
穴といっても、たくさんの穴や突起の集まりに恐怖を感じ、蜂の巣やブドウの房、サンゴの模様、ハスの花托、スイスチーズの穴、タコの吸盤、しずくや気泡など一見すると無害なものへの嫌悪感も含まれています。
インターネットの画像検索で見てみると、心がざわめくような奇妙な画像がたくさん出てきますが、あなたがそれを見て恐怖を感じるようなら「トライポフォビア」かもしれません。
実のところ、「集合体恐怖症」と名はついていますが、医学的に精神障害の恐怖症としては認知されておらず、恐怖症よりも嫌悪感に近い存在として考えらえているようです。
それでは、そもそも恐怖症や嫌悪感といったものは一体何なのでしょうか。
ここでは、近年の研究によって分かってきた恐怖感や嫌悪感について、興味深い人間の進化メカニズムをもとに分かりやすく紹介します。
恐怖症とは
私たちが狭い場所や高いところなどで感じるような「恐怖感」をはじめ、他人や自然物に対する嫌悪感は、一体何から生じているのでしょうか。
一般的に、恐怖とは、生物学的な目的で役に立つもので、かつ、誰もが感じるものです。
それは、毒蛇や崖を目の前にしたときなど、命が危険にさらされかねない事態を避けるために生じる正常な反応なのです。
しかし、脳が、それに過度に反応しすぎてしまい、実際には害が及ばないものにまで恐れを向けたとき、それは恐怖症になります。家にいる無害なクモを恐れるクモ恐怖症のように。
実際には危険にさらされていないにもかかわらず、毒をもたない無害なクモの巣をみただけで不安になったり、クモをみると硬直してパニックになったりするのは、不合理な恐れのようです。
ましてや、小さな穴や突起の集合体を恐れるなんて。しかし、もし集合体恐怖症の人が実際には穴を恐れているのでく他に原因があるとしたら、恐怖症とはいえないかもしれません。
集合体恐怖症は、恐怖からくるものではなかった
多く場合、恐れや幸福感、悲しみといったある種の感情は「顔の表情」に表れます。
人は、恐怖を感じた場合、眉毛が上がり、口は開き、目を見開く傾向があります。
対して、嫌悪感を感じている人は、眉間にしわを寄せたり、唇をギュッと結んだり、鼻にしわを寄せたりします。
実のところ、集合体恐怖症についての研究はまだあまりありませんが、集合体恐怖症と呼ばれる人たちの表情を調べた研究では、「恐怖」よりも「嫌悪感」に近い反応を示すことが分かりました。
それでは、私たちは、なぜ嫌悪感を感じるように進化したのでしょうか?
そもそも、なぜ嫌悪感を感じるのか
恐怖心も嫌悪感も、それぞれに異なる理由で進化してきましたが、どちらも悪いことを避けるように私たちに伝えるためにあります。
まず、恐怖は、危険に反応して「戦うか逃げるか反応」を自らに差し迫り、素早く逃げられるように生理学的な変化を起こします。
一方で、嫌悪感は、それとは別の「悪いもの」を避けるためにあるようです。
病を防ぐために進化した「嫌悪感」
嫌悪感の進化については数多くの理論がありましたが、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院(LSHTM)のヴァル・カーティス教授による進化論的観点の研究からやっと全体像がみえてきました。
彼女は、病気の原因となるような虫や腐った食べ物を避ける手段として、本来の嫌悪的反応が進化したという考えを発展させたのです。
基本的に、私たちが嫌悪するものには、目には見えにくくても危険因子が隠れている可能性があります。
彼女の理論は、寄生虫回避理論と呼ばれ、「人の外観(体の奇形や病変など)」、「傷口(化膿や流血など)」、「衛生的問題」、「危険を伴う性的行動」、「食べ物/いきもの」、「病気の媒介物」の6つのカテゴリに分けて考えられました。
たとえば、便には細菌が含まれていたり、腐った食べ物にはカビが生えていたり、傷口は病原菌や寄生虫を運んだりする可能性がありますね。
つまり、嫌悪感を感じることで、脳に警告して、感染源に近づかない行動を促していたのです。
それによって、私たちは、生き残り、子孫を繁栄できる可能性が高くなります。
なぜ「穴」に嫌悪感を感じるのか
私たちの脳は、それらを分類し、覚え、一般化する素晴らしい能力をもちあわせているがゆえに、ときには、無害なものにまで嫌悪感と結びつけてしまうこともあるようです。
穴の集合体には、おそらく上記の6つのカテゴリのうちの一つを思い起こさせる何かがあるのかもしれません。
よく考えてみると、ハスの花托は、ある種の皮膚の病気のようなものにも見えます。
そして、それが「トライポフォビア(trypophobia)」の検索画面をみて、吐き気を誘発する理由なのかもしれません。
もちろん、文化や習慣の違いなどによって、人それぞれに嫌悪感を感じるものも異なるため、集合体恐怖症については、これからもっと調査する必要はありそうです。
嫌悪感の反応は、生物学的にプログラムされた普遍的なものかもしれませんが、私たちは、そこから多くのことを教えられているのです。