実は、ネコは、マグロどころか他の種の魚もいない砂漠で進化してきたことをご存知でしょうか。
ではなぜ、マグロの缶詰を開けると飛びつくのでしょうか?
どうやら、マグロがネコの大好物となったのは、「祖先が何を食べていたのか」や「マグロが健康によいから」というよりも、ネコがもつ「うま味」の感じ方そのものにマグロがぴったりと当てはまったようです。
それは、ネコが私たち人間とは逆のうま味の感じ方(アミノ酸と核酸の相互作用)をすることに関係があります。
以下に、ネコを夢中にするツナ缶(マグロの成分)のうま味成分の秘密をみていきましょう。
「うま味」とは
ネコは、人間もそうですが、うま味のある食べ物を好みます。
うま味とは、甘味や塩味、苦味、酸味と並んで食べ物のおいしさや香りを引き出す5つの「基本味」の一つです。
ネコも人間も、うま味を感じる能力は、Tas1r1とTas1r3と呼ばれる2つのタンパク質に関係しています。
人間では、この2つの分子がレセプター(味覚受容体)を形成し、グルタミン酸やアスパラギン酸などのアミノ酸を検出し、うま味を感じます。
皆さんもご存知の通り、アミノ酸はタンパク質を構成する成分です。
タンパク質は私たちの体をつくる栄養素でもあり、貴重なエネルギー源にもなります。
人間「うま味のアミノ酸とひき立てる核酸」
「うま味」は、アミノ酸「グルタミン酸」から発見されて名づけられた味で、食品添加物でいう「MSG(うま味成分グルタミン酸ナトリウム)」に含まれる成分。人間にとってはグルタミン酸の味が、まさに基本的に純粋なうま味ともいえます。
そして、核酸もまた、食品の風味増強剤としての役割を担っています。(アミノ酸である)グルタミン酸と、核酸を組み合わせることで、うま味が強くなるのです。
さて、「核酸」と聞くと、DNAやRNAを思い浮かべるかもしれません。
これらは最も馴染み深い核酸の一種ですが、食品を含むあらゆる生体組織には様々な核酸が存在し、これらの化合物は、食べ物に風味を与えるのに役立っているのです。
ネコのうま味の感じ方
ネコは、私たちが味わううま味とはまったく異なるうま味を味わっているのです。
2023年の研究で、研究者たちはタンパク質の構造のコンピューターモデリングとネコの味覚受容体の細胞株研究を用いて、このことを解明しました。
また、研究では、ネコの味覚テストも行われ、ネコが何かをおいしいと感じるかどうかの主な要因は、食べ物のどの分子なのかを解明することができたのです。
ネコの場合、Tas1受容体ペアはアミノ酸だけでは活性化されません。
むしろ、特定の核酸によって活性化され、アミノ酸によってそれが増強されるようです。
核酸をひき立てるアミノ酸
イノシン一リン酸(IMP)と呼ばれる核酸は、ヒスチジンと呼ばれるものを含む多くの異なるアミノ酸によって増強されます。
ネコにとって、IMPとヒスチジンの組み合わせは強力の風味の組み合わせとなるのです。
マグロにはIMPとヒスチジンが多く含まれています。
マグロに含まれるIMPとヒスチジン
実際、マグロのIMPは他のどのヌクレオチド(核酸はヌクレオチドが多数つながったもの)よりも多く、ヒスチジンは他のどの遊離アミノ酸よりも多い。
であれば、ネコが、マグロのいないところで進化したにもかかわらず、マグロの缶詰をおねだりするのも説明がつきます。
たしかに、他の種類の魚にもこれらの成分は含まれていますが、マグロほど多くはありません。
ネコにとってより捕食しやすいネズミの肉でさえ、ヒスチジンの含有量はかなり低いのです。
それどころか、鶏肉、牛肉、豚肉などの肉類には遊離ヒスチジンはまったく含まれていないといいます。
ネコは他のアミノ酸や核酸の組み合わせも好むということも分かってきました。
ネコはなぜマグロ(ツナ缶)を好むのか
彼らの祖先は北アフリカや南西アジアに生息する野生のネコで、新石器時代初期から人類とともに暮らしていました。
では、なぜネコは祖国から何千キロも離れた、物理的には決して立ち入ることのできない環境に生息するものを好むように進化したのでしょうか?
それは、まだはっきりしていません。
この研究に関与していない研究者は、大昔、漁港にたむろして残飯を食べていたネコのほうが、ネズミを捕らなければならないネコよりも生存に有利だったのではないかと推測しています。
家畜化されたネコが何千年も前に魚を食べていたことを示した壁画や証拠も残されています。
つまり、ネコの食べ物の好みは、野生の祖先が何を食べていたか、あるいは何が良いかという問題よりも、基本的にはアミノ酸と核酸の相互作用に関係しているようです。
実は、マグロはネコにとって自然の獲物ではないだけでなく、特に健康的でもないことに注意しなければなりません。
生のマグロも缶詰のマグロも栄養的に完全ではないので、マグロは主食ではなくおやつにすべきだといわれているのです。