今日のエンジニアらでさえ、自由の女神像の銅の曲線美、そして、建築技法における偉業には驚かざるを得ないといいます。
像が、歴史上最大の爆破事件「ブラック・トム大爆発」や、1954年のハリケーンHazelによる時速160kmの突風にも耐えたられたのも優れたエッフェル技師らによるエンジニアリングのおかげなのです。
たとえば、4本の主柱からなる強固な鉄骨と(表皮となる)銅板の間は、柔軟性のある平らな薄い棒でつなげられました。
それによって、屋外で風が吹いたときに構造がわずかに揺れるように設計されていたのです。
振動に耐え、外から強い力がかかったりしても、平らな棒がベッドのスプリングのように柔軟に折れ曲がることで、衝撃エネルギーを吸収することができます。
さらなる見所は、この自由の女神の曲線の美しさです。それは、銅をつなぎあわせた表皮に秘密があります。
像は、1つの固体のように見えますが、実際にはわずか2.3mmの厚さからなる銅板をパズルのように鋲(びょう)で接合させてつくられているのです。
さっそく以下に、自由の女神像の驚くべき技法テクニックについてみていきましょう。
自由の女神像の銅板のカーブはどのようにしてできたのか
女神像の細部にまでおよぶ美しいカーブは、どのようにして彫刻作品のように完璧に造形されたのでしょうか?
それには3つの工程があります。
まず、鼻を例にいうと、いくつかの重要なポイントをマークします。
鼻の一番先の赤いポイントの位置を出すには、外の四角の枠からの距離を出して座標測定値を計算しています。このようなポイントを何千とマークすることで、全体の造形が生まれるのです。
この全体像を石膏で作り、(工房に入るように部位ごとに)分割した後、それぞれの部位の型を木製の骨組みでつくっていきます。
その木製の骨組みの上に、薄い銅板を置いて、ハンマーで打ち付けて成形していくのです。
内側からハンマーで叩いたため、外側の表面は滑らかでハンマーの跡は残りません。
これらの表面を覆う銅板は300枚用いられ、その重量だけで28000kgにもおよびました。
銅板を繋ぎ合わせる作業
問題は、異なるプレートをいかに完璧かつ強力に接続するかでした。そのためにリベット(鋲)技法が使われます。
最終的に、銅板の板をパズルのピースのように鋲で打ち付けてつなげますが、ここで問題です。
通常は、鋲の頭が外側に突き出ますが、外側からは鋲の痕跡もなく表面が滑らかに見えるのはなぜでしょうか?
この問題を解決するため、銅板をもう一枚追加して外側を平らにする方法がとられました。
金属の腐食を防ぐ方法
銅(板)と鉄(鉄骨)の間の電気化学反応の問題もありました。
銅と鉄を直接接続すると、金属は数年で腐食してしまいます。
そのため、エッフェルは、これらの間に樹脂状の物質でコーティングしたアスベスト(石綿)を挿入することで2つが直接触れないようにしてこの問題を解決しました。
その他にも、資金や輸送の問題を乗り越え、鉄骨や二重らせん階段の完璧な建設計画のもと、建築されていきます。
1886年10月28日、自由の女神像は盛大なファンファーレの中で公開されました。
銅が空気との参加反応によって生まれる青緑色の層のコーティングができるまでには、20年の月日がかかりました。この層は、銅をそれ以上の腐食から保護する安定した層として機能します。
自由の女神像の観光
自由の女神像の台座展望台までは、215段の階段かエレベーターで昇ることが出来ます。
台座から王冠部分までは、エレベーターはなく162段の螺旋階段を登るのみ。
かつては右手のトーチまではじごで登ることが可能でしたが、ブラック・トム大爆発によって1916年に閉鎖されました。
ブラック・トム大爆発では、マグニチュード5.5が測定され、巨大な衝撃波が自由の女神を襲いました。
爆発の破片が女神像の銅板や内部構造に深刻な損傷を与えましたが、この出来事の間、像のトーチが点灯し続けていたことは興味深いことです。
自由の女神像の驚くべきエンジニアリングについては動画で分かりやすく紹介されています。