イギリスはなぜ左側通行なのか?

身近なふしぎ

世界では約4分の3の国と地域が右側通行です。

それにもかかわらず、イギリスやかつての(イギリスの)植民地のほとんどはなぜ左側通行なのでしょうか?

その答えは、自動車が生まれるずっと前にあります。

以下に、世界の大半が右側通行なのに、イギリスが左側通行をしている理由について、この違いの背景には何があり、いつから左側通行が定着したのかを中心に紹介します。

中世では左側通行が主流だった

すべては中世、さらに古代ギリシャとローマにまでさかのぼってはじまります。

当時は旅行中に襲われる危険が常にありました。

そして、ほとんどの人は右利きなので、攻撃された場合に剣で戦う右手を自由に保つために、道の左側に寄って移動する傾向がありました。

剣士らも、敵に近い方が右腕になるように左側通行を好み、これにより、鞘(左側に装着)が他の人に当たる可能性も減りました。

また、道の真ん中ではなく、脇に向かって乗り降りする方が安全でした。

実際に、古代ギリシャやローマに左側通行の習慣があったことを示す証拠もいくつかあります。

それだけではありません。

1300年、ローマ教皇ボニファティウス8世は、ローマに旅行するすべての巡礼者は左側を通行すべきであると宣言しています。

では、人々はどのようにして右側通行になっていったのでしょうか?

右側通行が主流になった理由と背景

ナポレオンは右側通行を好んだことが分かっています。

ヒトラーも同様で、彼は、チェコスロバキアとオーストリアに右側通行への切り替えを強制しました。

しかし、イギリスはナポレオンとヒトラーの両方に抵抗を示し、決して右側通行に変えませんでした。

そんな中で、右側通行に切り替える必要がなかった国もあります。その一つがアメリカです。

アメリカは、イギリスと同じように左側通行で走行し始めたといわれていますが、植民地時代から右側通行を続けています。

アメリカの馬車は右側通行の方が便利だった

当時、アメリカでは、数体の馬がひく大型馬車の使用が主流でした。

これらの貨車には運転席はなく、運転手は馬の左後ろに座っていたため、右側走行は、運転手が対向車を見やすいことを意味します。

また、右側走行の方が、溝に転落する可能性も低くなります。

これらの右側通行は、植民地時代からの習慣でしたが、ペンシルベニア州とニューヨーク州がそれを規制して公式にしたのは、それぞれ1792年と1804年でした。

その後、多くの州がその例に倣(なら)いました。

しかし、実際に右側通行が定着したのは、ヘンリー・フォードがモデルTのハンドルを車の左側に置いたときでした。

その後、手頃な価格の車が大量生産されるようになり、多くの国で交通規則が変更されました。

ロンドンは左側通行である理由

一方、英国では米国の巨大な馬車は人気がありませんでした。

その代わり、イギリスの車両は小型で、運転手が馬の後ろに座れる座席がありました。

ほとんどの人は右利きなので、運転手は鞭を打つ手を自由に保つために座席の右側に座ります。

これにより、人々は左側に車を運転し続けることが保証されました。

さらに、18世紀のロンドンでは、車の衝突を減らすため、ロンドン橋においてすべての車両に左側通行を義務付ける交通法が導入されました。

その後、この規則は1835年の高速道路法に組み込まれ、英国全土で採用され、左側通行が義務化したのです。

20世紀にはヨーロッパで道路法を調和させる試みが行われ、ほとんどの国で右側通行への移行が行われましたが、イギリスには影響しませんでした。

参照元:Why do the British drive on the left?