自由の女神のストーリーとは

人に話したくなる話

ニューヨーク港(リバティ島)にある自由の女神は、世界で最もよく知られたランドマークのひとつです。

しかし、自由の女神はそこで何をしているのでしょう?

そしてどこから来たのでしょう?

正式には「世界を照らす自由(Liberty Enlightening the World)」と呼ばれる自由の女神像は、国際友好の象徴として1886年にフランスからアメリカに贈られたものです。

7つの海と7つの大陸を表す冠をいだき、左手に独立宣言書、右手にたいまつを空高く掲げた自由の女神。

かつては灯台として航海を導いた像は、今でも自由と希望の灯で世界を照らし続けています。

以下に、自由の女神像がニューヨークの港に来た背景や意味をみていきましょう。

アメリカ独立100周年を記念したフランスとの友好の証

物語は、1865年にフランス人のエドゥアール・ド・ラブレ氏(※1)が、フランスがアメリカのために記念碑を作るべきだと提案したことから始まりました。

しかし、その物語の本当の始まりは、それより20年以上も前のこと。

ラブレの夢が実現するまでには長い時間がかかりました。

彫刻家オーギュスト・バルトルディに設計を依頼したのは、それから10年後のこと。

アメリカ国民は、像が立つ台座の費用を負担することに同意します。

フランス国民は、自由の女神像そのものに資金を提供することに同意。

しかし、十分な資金を集めるのは決して簡単ではありませんでした。

自由の女神像の完成

フランスで自由の女神像が完成したのは1884年のこと。しかし、台座が完成したのはさらに2年後、1886年4月。

女神像は350個のパーツに分割され、214個の木箱に梱包された後、フランス海軍の輸送船によってアメリカに届けられました。

台座が完成してから、像を組み立てるのにさらに4ヶ月もかかったのです。

そして、1886年10月28日、とうとうグロバー・クリーブランド大統領によって自由の女神像が奉納され、その日はバンドの演奏やパレード、演説、花火などで皆に祝われました。

それからというもの、自由の女神は瞬く間に世界でも有名なランドマーク(象徴)となっていきます。

自由の理念の象徴

当時、アメリカへの移民の約4分の3がニューヨークを経由して入国していました。1892年からは、エリス島に入国検査書が設けられ、1000万人以上もの移民を迎えてきました。

ニューヨークを経由して米国にやってきた多くの移民にとって、自由の女神は、自らの新天地で初めて目にするものでした。

そして、他の人々にとっては、アメリカが築き上げた自由の理念を象徴するものだったのです。

像はローブを着た女性を描いており、ローマ神話の自由の女神リーベルタース(Libertas)を表しています。

自由の女神像について

頭には7つの突起(光線)がある王冠をかぶっており、これは7つの海と地球の7つの大陸を表しています。

左手には、1776年7月4日(独立記念日の日付)と書かれた独立宣言書の石版を持ち、右手には、16枚の葉と2.4金の金箔で覆われたで炎のたいまつを高く掲げて世界を照らしています

驚くかもしれませんが、自由の女神像自体は、厚さ3ミリにも満たない銅の層で覆われています。

もともとは鮮やかな銅色に輝いていました。

しかし、建設から20年もたつと、太陽と雨にさらされ続けて、銅は酸化し始め、現在のような青緑色に変化したのです。

像の右足には壊れた足かせと鎖が横たわっています。その鎖は切れた状態で彼女の左足の前に再び現れます。これは、抑圧や奴隷制度の終わりを象徴。

台座を含めない像の重さは45万ポンド(225トン)、高さは台座を除いて151フィート(46メートル)以上あり、台座を含めると地面からトーチの先端までの高さは22階建てのビルに匹敵

台座に記された詩

毎年約400万人が自由の女神を訪れています。

自由の女神の中に入ると、ユダヤ系アメリカ人エマ・ラザラスが台座建設の資金集めのために書いた以下の詩を見ることができます。

Give me your tired, your poor, Your huddled masses yearning to breathe free
The wretched refuse of your teeming shore.

我に与えよ
疲れし者、貧しき者、見捨てられ、隅へと追いやられ、自由な息吹を切望するあわれな者たちを

Send these,
the homeless,tempest-tossed to me,
I lift my lamp beside the golden door

Emma Lazarus 1883

これらを我に送りたまえ
家なき者、嵐にもまれし者たちを
我は黄金の扉にで灯をともす

エマ・ラザラス 1883年

アメリカの独立とあらゆる種の隷属と抑圧の終焉を象徴するもの

130年近い歴史を持つ自由の女神は、1865年の南北戦争での北軍の勝利と奴隷制度の廃止を祝うとともに、民主主義政府と啓蒙思想の象徴でもありました。

そして、今も自由とアメリカでの新しい生活を求める人々の希望と歓迎のシンボルとしてあり続けています。

現在では世界遺産にも登録され、世界中の人々が楽しめるよう保護・保存されるべき、特別で重要なものと考えられています。

※1 エドゥアール・ド・ラブレ氏:
ランスの政治思想家、米国憲法の専門家、奴隷制度廃止論者。エイブラハム・リンカーン大統領、奴隷制度廃止のための闘いの断固たる支持者でした。ラブレ氏は、自由の女神を、フランスの抑圧的な君主制へ抗議する方法としても捉え、すべての国に奴隷制度を廃止するよう呼びかけました。

参照元:
The Statue of Liberty for Kids
Abolition – Statue Of Liberty National Monument