人間の体はドーナツのようだと言われています。
目、鼻、耳のペア、口、尿道口、肛門といった見える穴から、穴とは言えないような目には見えない穴が数えきれないほどあるからです。
私たちの毛穴は、分子の間には亜原子(原子よりも小さい粒子)の隙間があります。
ニンニクを半分に切って足にこすりつけると、約1時間後に口の中でニンニクの味がし始めます。
なぜなら、ニンニクの味を出す分子は、足の皮膚細胞に浸透できるほど小さいため、血流に入り、口に届くからです。
昼も夜も毎秒600億個の太陽からの小さな素粒子があなたの親指の爪を通過しています。
つまり、人間がいくつの穴を持っているかというのは、スケールが小さければ小さいほど、明らかに無意味な質問になります。
結局のところ、人間の身体は穴の空いた固形物ではなく、原子と分子が緩やかに配置されているにすぎないようです。
しかし、最小の穴の大きさを認めれば、その質問はおもしろいものになります。
以下に人の体にはいくるの穴があるのかについて考えてみましょう。
人の体にある穴はすべて同じではない
最小の穴の大きさを、たとえば髪の毛の幅で(2000万分の1から6000万分の1メートルくらい)イメージしてみましょう。
幅60クロンの魔法の宇宙船が、まるでクレーターのような巨大な毛穴の中に飛び込んできました。
しかしその宇宙船は、もう一方の端にある血管系を通り抜けたり、細胞内を拡散したり、分子間をすり抜けたりすることはできません。
このことは、人の体にあるすべての穴が同じではないという事実を示しています。
幅60ミクロンの船や糸を口に入れても、どこか別の場所から出ることはできるかもしれませんが、毛穴や毛包に入り込むことはできません。
このことから、消化管はエンジニアが言うところの出口のある通り穴となります。
毛穴、尿道、耳毛根、産道、副鼻腔など見えない穴の場合、中に入ることはできますが、狭い毛細血管に行き着き、最終的には血液細胞より小さくなければ行き止まりとなります。
目からは、眼球を下に押し込めて入ることができますが、結膜で止められてしまいます。
鼻から入ったものは、入ってきたのと同じ副鼻腔口しか出口はなくなります。
耳については入るのは簡単ですが、幅60ミクロンでは、鼓膜の気密性がそれ以上の通過を阻みます。
毛穴や毛根を合わせると、体中には何百万もの見えない穴がありますが、それは本当に穴といえるのでしょうか?
穴は存在しないのかもしれない
穴とは何か、穴の正体とは何か、正確な数学的定義はひとつもありません。
実際、穴は存在しないのかもしれません。
つまり、私がドーナツを丸ごと食べたとしましょう。
私は、ドーナツの穴を食べたのでしょうか?
あるいは、ドーナツの穴を食べずにドーナツを食べることはできるのでしょうか?
店に行ってスイスチーズを買うが、穴は店に残しておくことはできるのでしょうか?
穴が存在論的に何かに寄生していることは明らかです。
穴の存在は、穴が棲みついたり邪魔になったりする他の何かに依存しているようです。
もちろん、穴の哲学が日常生活で問題になることはほとんどありません。
このような穴についてのとても興味深い考えは以下の動画で見ることができます。