もし幼少期に何も言葉を教えられなかったらどうなると思いますか?

2018年2月22日

幼い時期、子供たちは、周囲の人の行動を観察し、それらをまねることで、周りの世界を理解し、学び始めます。

これを心理学では、モデリング(観察学習)といい、有名な「ボボドール実験」と呼ばれる研究では、子供が大人の行動を見て、同じような行動をすることが明らかにされました。

それは、大人が、人形に暴言や暴力を振るうのを見た子供は、大人がいなくなったときに、同じように攻撃的な行動反応を示す傾向が高いというものでした。

それでは、観察が学習を容易にするのであれば、何も観察しないで、あるいは、何も教えられない状況では、子供はいったいどうなっていくのでしょうか?

ここでは、その謎を、幼少期に言葉を全く教えられなかった女の子の経験をもとに、研究で分かってきたことを分かりやすく紹介します。

幼少期に言葉を教えられなかった子供

まず、基本的な言語に焦点をあてて、たとえば誰にも話しかけられないまま、言語の存在を知らずに育つとどうなるのかについて考えてみましょう。

とはいっても、科学的な研究のために人を言葉から遠ざけて完全に孤立させることは明らかに道理に反しており、そのような研究は無理が生じます。

しかし、実際に科学者たちは、過去に、人間の接触がほとんど、または、全くないという恐ろしい状態で育てられた子供の脳を研究する機会が何度かありました。

彼らは、なんらかの理由で、人間社会から完全に隔離されて育ったことから、孤立児や隔離児とも呼ばれており、その中で最も有名なのは、ジーニー・ワイリーと呼ばれる女の子の話です。

言葉を知らずに育ったジーニー・ワイリーの話

ジーニーは、両親の家にある小さなベッドルームに閉じ込められて、13年間を過ごしました。

1970年に両親は児童虐待で捕まり、ジーニーは心理学者と言語学者のチームでリハビリを始めました。

幼少期に、両親から全く言葉をかけられずに育ったジーニーは、そこで、言語分野の専門家たちによって、言葉を教えられ、周囲の世界に興味を示していったのです。

子供時代に言葉を教えられなかったらどうなるのか?

科学者たちは、ジーニーの経験をもとに、次の質問について考えました。

「もし、子供が幼少期を通じて言葉を奪われた場合、うまくコミュニケーションできるほどに学ぶことができるのか」

これについて、始めの頃は「イエス」と考えられていました。

ジーニーは、すぐに周囲の物の名前を覚え、新しい言葉を学び始めました。そして、幼児の話し方に似た数単語からなるフレーズも話し始めたからです。

しかし、それ以上は、言葉で伝える能力に進歩がみられることはありませんでした。

脳が言語を学べる時期について

そのことから、科学者たちは、「ジーニーは、人間の言語を学ぶための重要な期間である思春期が、すでに過ぎてしまったことが原因で、文法を学ぶことができない」と仮説をたてました。

言語学者のノーム・チョムスキーは、人間の言葉と動物のコミュニケーションは別物であると考えています。

科学者は、限られた言語の発達期間の間、人間の神経系は言葉に関する刺激に特に敏感であり、それを過ぎると言語能力、特に文法的な文章を身につけるのはほとんど不可能になるといいます。

また、この重要な期間の後に、手話を学ぶケースにも同じ効果が示されています。

英語では「老犬に、新しい芸を教えることはできない(you can't teach an old dog new tricks)」ということわざがあります。

これは、日本の「老い木は曲がらぬ」と同じ意味で、年老いてからでは(新しい行動を学ぶための重要な時期を過ぎてしまっては)、手遅れであるという意味です。

幼少期における脳の生理的な変化

さて、あなたはおそらくなぜこのような重要な期間が存在するのだろうと疑問に思うかもしれません。

臨界期仮説(りんかいきかせつ)を普及させた言語学者のエリック・レンネバーグ(Eric Lenneberg)によると、言語の機能は、臨界期とよばれる年齢を過ぎると、脳の左半分に定着する傾向があります。

そして、この脳機能の左右分化の後、脳は柔軟性の一部を失うと考えられています。

したがって、この時点までに言語を学習していないと、脳が新しい言語を学ぶのが難しくなる可能性があります。

そして、悲しいことに、ジーニーにとっては、すでにその時点を過ぎていました。

しかし、ジーニーは言語をうまく使ったコミュニケーションはできませんでしたが、トイレの使い方や服の着方などは、すぐに学ぶことができました。そして、彼女の周りの世界に信じられないほど興味を示していきました。

これは、今までに、何も教えられていない人たちにも、希望が残されていることを意味します。

言語の習得には、大切な期間があったとしても、年齢に関係なく、観察によって学べることはまだ他に存在するのかもしれません。