人間が地球上で最も知的で社会的に複雑な生物とされるなら、なぜ私たちは真実を語ることができないのでしょうか?
今回は、このナゾについて、とてもおもしろい4つの実験をもとに解明して紹介します。
実のところ、「世の中の人をウソをつく人とつかない人に分けることができる」という考えは正しいとはいえません。
もしあなたが「ウソをつくことは異常で、断じて受け入れられない」と考えているなら、それは正確には間違いで、以下の実験のようになんらかのメリットや報酬を得るためには誰でも小さなウソをつくと考えられています。
嘘(ウソ)についての有名な実験があります。
実は、この実験で使われたシュレッダーには、紙を粉々にしない細工がされており、研究者は誰がウソをついたかのを見分けることができたのです。
すると、約10人に7人がズルをして、実際には4つしか解けなかったのに対して、平均して6つ正解したとウソの自己申告をしました。
ここで興味深いのは、参加者がついたウソは、お金を得るには十分で、かつ、疑惑を抱かせるほどではない大きさだったところ。
彼らのウソは、計算されたものだったのです。
誰もがウソをつく
自分自身を正直に見てみてください。
あなたは、今日一つでもウソをつきましたか?
私たちのほとんどは自分自身を良い人間だと思い、世の中には真実に忠実な人たちがたくさんいます。
しかし一方で、小さなものから、計り知れないほどの害をもたらすものまで、世の中にはウソがはびこっています。
嘘、ごまかし、偽り、ミスリード、虚構、作り話、捏造、デマ、贋作、誇張、偽物。
ウソの定義は、被害者となる人に誤った思い込みを抱かせるように行動することですが、この場合、被害者は自分自身になることもあります。
自分に嘘をつくことはできるし、脳の一部が、他の部分に情報がもれないように隠すことさえあります。
それだけ嘘にはいろいろな種類があり、複雑なのです。
真実ではない何かを言うだけでなく、真実を避けるためのウソ、または真実を誇張、他の方向性に目を向けさせて真実そのものに疑問を投げかけるように導くウソ、これらはすべてウソです。
誰もがなんらかのウソをついていますが、これは誰のせいでもありません。
ウソをつくのは進化的な理由がある
遺伝学・進化生物学者(テオドシウス・ドブジャンスキー)の有名な言葉があります。
生物学においては進化に光を当てなければ、何も意味をなさない
当然ながら、私たちの存在も行動も全て進化してきたものです。
ウソをつくような心理的な特徴でさえ理由があって、ウソを得意にさせたのは進化のうえで役に立つなにかにつながるのです。
ウソは自然界のいたるところにある
では、人はどれくらいの頻度で嘘をつくのでしょうか?
大学生を対象にした研究では、親友との会話の4分の1でウソをつくという結果が出ています。
そして、恋人との会話の3分の1、友人との会話の半分、知人との会話の半分、見知らぬ人との会話においては8割近くがウソ。
母親への電話では、半分がウソだといいます。
もちろん、他人をあざむいたり、ウソをついたりするのは、人間に限ったことではありません。
生物は、お互いに、音や色、模様、行動、化学物質などを用いて、あらゆる種類のウソの信号を交換し合っています。
ウイルスは、私たちの免疫システムをだまし、寄生虫は宿主の心をコントロールして、自らが生き残り、繁殖できるようにしています。
メスのミツバチのように見える花は、ミツバチのオスをだまして惹き寄せてから受粉させます。
タコは、海底の色にカモフラージュしてじっとしています。
アリの幼虫が発する化学的な匂いに身を包んでいる甲虫もそうです。 彼らはなんとアリの赤ちゃんを食べて、自らがアリに世話をしてもらうのです。
これらはまだまだほんの一部。ウソは、自然界の至る所に存在します。
しかし、私たちのように、これほど幅広い範囲のウソをつける動物は他にいません。
人間は、動物界ではウソの王者
なぜなら、私たちは「言葉によるウソ」が使えるからです。
人間の平均的な成人は1万語くらいの言葉を話すことができ、ときには事実を誇張したり、省略したり、創作したりするために、数え切れないほどの方法で言葉を組み合わせて饒舌にウソをつきます。
科学者らは、私たちが話し言葉を開発した時、ウソのスキルは爆発的に向上したと考えています。
私たちは、どのようにウソを合理化したり、ウソの言い訳したりするのでしょうか?
人は何のためにウソをつくのか
ちょっと考えてみてください。私たちは、日常的に行っている他との交流の中で、何を求めているのでしょうか?
もしかしたら、ただ気持ちよくなるために、自分の意見を聞いてもらいたいのかもしれませんし、何かしらの印象を与えたいのかもしれません。
ウソをつくのは、自分自身をよく見られたいため、あるいは友情を強化したい、影響を与える人間になりたいのかもしれません。
私たちは誰でもこのような動機を持っています。
そして、私たちはこれらの動機に基づいて正直に行動することができます。
ウソには種類がある
私たちが言う嘘のほとんどは、一般的に5つのカテゴリに分類されます。
- 感情や意見についてのウソ
- 計画や方向性
- 知識や実績
- 行動やふるまいの説明
- 個人的な事実や所有物
これらは地球を揺るがすほどの大きなできごとではありませんが、本当によく見られます。
ウソをつく理由
人々が嘘をつくとき、彼らはしばしば(意識的に、または無意識的に)ウソの対象を守るために、または、自分自身を守ろうとして、それを正当化します。
真実を語るより、ウソの方が相手も気分がいいはずだと感じるのは、専門的には向社会的嘘と呼ばれるもので、よく耳にする「嘘も方便」がそれにあたります。基本的には相手も利益を受けるものです。
一方で、反社会的なウソとは、ウソをついた人を心理的に守るためについた自己中心的で虫のいいもの。
他の人に恥ずかしい思いをさせたり、不評を買ったり、対立したり、自分の感情すら傷ついて被害を与える利己的なウソです。
常に正直であることが、常に最高のアイデアとはいえない
人は自分のためになる嘘をつくことが多く、見知らぬ人や知人に自分勝手なウソをつきやすい傾向があります。
そして、親しい友人や家族には、彼らを守るための他人本位のウソをつく傾向があります。
うそつきからすると、人を操って搾取するためではなく、ウソをつくことで人に親切にしているようなものでどちらも心優しい利他的な行為です。
ときには、自尊心を高めるため、人の気持ちを守るため、あるいは、人に好かれるようにウソをつくのです。
心理学者によると、社会的な絆を強めるには、常に正直であることは、常に最高のアイデアではありません。
少し深い話ですね。
もちろん人は、時には、より深刻な嘘をつくときもあります。
人間関係に深刻なダメージを与える可能性のある嘘や、重大なことを隠蔽するような嘘。自分のアイデンティティーの一部を隠したり、他人を危険にさらすような深刻なウソです。
親しい人に対するウソの傾向
おもしろいのは、人は親しい人に、自分を守るための小さな嘘はあまりつかないのに対して、大きな嘘をつく可能性が高い傾向があることです。
ちょっとこんがらがってきますが、要は、小さなウソは見知らぬ人や知人に恥ずかしさや気まずさから自分を守るためにつきやすいのに対して、親しい人には逆にそれをさらけ出して、真実を共有することで、関係が強化されることが多いようです。
大切にしている人々に些細な事で嘘をつかない方が、相手との絆をより強め、心理的に価値があるのです。
しかし、それは親しい人たちとの関係が大切であるがゆえのことで、一方でそれを失いたくないがために、危険なウソやより深刻なウソをついてしまう可能性は高くなります。
真実を伝えて失うものの方が大きいからです。
ウソの良し悪しは道徳的な問題だけで判断できない
嘘をつくことは絶対的に間違ったことであり、非難に値すると考えるのは簡単です。
しかし、道徳的な問題だけで判断できることではありません。
私たちは正直さを大切にしていますが、愛や幸せも大切にしていますし、苦しみや不快なものを遠ざけることも重要です。
私たちはこれらの目標のすべてを同時に秤にかけなければなりません。
完全な正直さは、常にそれらの他の懸念よりも勝っているわけではありませんし、他の人の気持ちを認め、人の意向をたてる方が道徳的な高みに立つこともあります。
もちろん愛と誠実さが一致するのは素晴らしいことですが、いつもそうとは限らないのです。
なぜなら、人と人との関係は複雑なもので、両者の間に不快な思いがあるのなら、人間関係をより良くするために努力し続けなければならない状況もあるからです。
ウソで生産性を上げることもある
これらの社会的行動に加えて、人々が嘘で、無意識的に生産性を上げているもう一つの大きな方法があります。
ウソをついた、その瞬間に社会的に受け入れられることがあるのです。
はじめに行った数学の問題とお金の実験を覚えていますか?
研究者らはまた同じような実験をやりました。
ただし今回は、テスト開始から30秒後に、一人の男性に立ち上がって大声で「私は全ての問題が解けた」とウソの宣言をしてもらったのです。
すると、そのウソをついた男性が、雰囲気も服装も自分とは違うグループに感じた人は、彼に否定的な感情をもち、自分は正直にふるまおうとする傾向がありました。
しかし、どんな理由であれ、彼に好意や共感を感じた人は、逆に嘘をつく可能性を高めたのです。
なぜなら、その男性は、嘘をつくことは社会的に受け入れられるというシグナルを送っているから。そして、ウソをついたその瞬間に、そのシグナルに共感を得て、社会的に受け入れられたのです。
人は、ウソを見抜くのが苦手で真実だと信じてしまう傾向がある
ウソが生産性を上げるカギは、ウソがばれにくいことにあります。
専門家でさえ、嘘を見抜くのが苦手なのです。
それは私達が信じようとする偏見を持っているからです。他の人が私達に言う事は、一般的には、本当のことを言っているように感じるのです。
世の中がウソであふれているにも関わらず、騙されていないというデフォルトが常に前提なのです。
なぜ私たちは、ウソより真実だと信じてしまうのでしょうか?
これを知るには、人類の歴史を見てみると分かりやすいでしょう。
昔の人は、生き抜くために自分の思いを信じた
人間の脳が今日のような形になったのは約15万年前だと考えられています。
先祖とは全く違う生活をしていますが、脳は、基本的に同じハードウェアを使い、ソフトウェアにおいても、そのほとんどが石器時代の人間と変わりません。
人間の脳は、真理を追求するための宇宙一の道具としてではなく、生き残るために進化してきたのです。
そして、10万年前の人々は、全く異なる選択をしていました。
草むらで捕食者の音が聞こえたと想像してみてください。
100回中99回は風の音だったとしても、そこで捕食者ではないと仮定したら、残りの1回で判断が遅れて食べられてしまう可能性があります。
しかし、肉食動物だと仮定しておけば、逃げ切れるかもしれません。
たとえ間違っていても、あなたが生きているのは、自らが聞いたり思ったりしたことが真実というのが前提で、そのデフォルトの思い込みのおかげなのです。
それを前提としなかった人間は食べられてしまったのです。
そして、私たちは、石器時代の心を、今の世界に存続させています。
しかし、昔とは全く違う現代社会では、その石器時代の心が向いているとは思えないと感じる場面もあります。
最近、嘘がひどくなっているのではないかと思っているのは私だけではないでしょう。
顔を直接見なくてもいい場合、嘘をつくのが楽になる
研究者が数学の問題とお金の実験の3回目を行いました。
ただし今回は、正解率を伝えた人にチップをもらって、それをもって別のお金をくれる人に渡すとお金が手に入る仕組みです。
すると、「チップ」をお金に変換という、このちょっとした距離感が加わることによって、人は2倍の嘘をつくようになりました。
これはちょっと怖いことです。
最近の私たちは、以前にも増してお互いの距離が離れています。
残念ながら誰かの顔を直接見なくてもいい場合、嘘をつくのが楽になるようです。
もしそうなら、誰も真実を語らなくなってしまうのではないでしょうか。
しかし、私はそうは思いません。嘘をつかれるのは誰にとっても本当につらいことですから。
社会性のある動物はウソを抑制しようとする摂理が働く
霊長類研究者のフランズ・デ・ワール氏は、サルにチップと交換でキュウリがもらえるように訓練をしたことがあります。
すると、他のサルが無料でキュウリをもらうのを目撃したサルは、食べ物を投げて公平性が回復するまで協力することを拒否したのです。
他の動物もそうだと思いますが、嘘をつかれたり、だまされたりするのは嫌なことです。
だからこそ、社会性のある動物は、嘘をついたり、ごまかしたりすることを抑制しなければならないのでしょう。
なぜなら、あまりにも頻繁に、あるいはあまりにも明らかな嘘をついたり、ごまかしたりすると、他の人は自然とあなたに協力しなくなり、あなたが生き延びて遺伝子を受け継ぐ可能性も低くなります。
ウソは意識することでつかなくなる
自然界には、嘘があふれていることを考えると、「私たちは嘘をつき、嘘をつかれる運命なのか」と絶望的になるかもしれません。
しかし、そうではない可能性を示した実験があります。
科学者は最後にもう一回、数学の問題とお金の実験をしました。
ただし、今回は、実験を始める前に、被験者に「ウソをつかない」と約束させたのです。
すると、嘘をつかないと言うだけで、ウソをつかなくなったのです。
人は、無意識に行動を起こすと嘘をつきやすくなりますが、嘘をつかないことを十分に意識するだけで、頻繁に嘘をつかないようになります。
道徳とはそういうものなのかもしれません。
意識的な心は、驚くほど強力なツールです。このツールは、想像力を働かせ、他人の足跡や心に入り込み、他人の目線で世界を体験させてくれます。
無言で、目には見えない、無意識のコントローラーの代わりに、私たちは、このツールを使って行動をコントロールしているのです。
これまでは嘘をついてもいいと思っていた人でも、「私は真実のために努力し、正直になろうとします」と意識し始めると、嘘をつかなくて済むかもしれないのです。
参照元:Why Do We Lie?