インドと中国の人口はなぜ多い?

なぜ中国とインドの人口だけが圧倒的なのか?身近なふしぎ

インドと中国の歴史的な背景をみていくと、地理的条件(水資源、良質な土壌、気候)、食料問題や面積の要因、戦略的に有利な位置にあるなど、人口の多い国になるべくしてなれた理由が見えてきます。

2021年、インドと中国の人口を合わせた数が、とうとう28億人を突破しました。

このたった2カ国、面積でいうと地球上の8.2%の土地世界の人口の36%が集まっているのです。これは、世界の5人に2人は、中国かインドのいずれかに住んでいることを意味します。

以下に、なぜ2カ国だけにこれだけ多くの人口が集中しているのかについて、中国とインドの人口が増えてきた歴史的な理由に遡って紹介します。

300年前からインドと中国の人口が増える割合は他国と変わらない

中国とインドの人口が多い理由

この300年の間に、インドと中国はそれぞれ10億人以上の人口を増やしました。

しかし、割合でみると、実際には世界の他の国々とほぼ同じペースで成長しています。

これは、世界が近代的で急速な人口増加の時代に入る数百年前(1700年頃)には、既に人口に差があったからです。

銀行に預けているお金で比較すると分かりやすいと思います。

たとえば、10万円を預けた口座と1000円しか入っていない口座では、両者が長年にわたってほぼ同じ割合1%で成長した場合、30年後には13万円以上の差が生まれてしまいます。

中国とインドの人口の変化

つまり、最初の資金が多ければ多いほど、時間の経過とともに、より多くのお金を得ることができるのです。

では、最初の資金、中国やインドが急速な人口増加を始めた1700年頃の人口は、なぜ既に多く存在していたのでしょうか?

世界が人口増加を始めた頃には既に中国とインドにたくさんの人口がいた理由

長期的な人口動態には、犯罪数、出生率、災害、死亡率、医療技術など、とても多くの変数が関係するので確かなことは言えませんが、食料と面積の2つとの関係が大きいと考えられています。

食料問題

肥沃な土地と新鮮な水へのアクセスがあれば、たくさんの食料を育てることができ、それによって多くの人々を養うことができます

現在でも、世界で最も人口の多い10カ国は、いずれも比較的多くの農地を持っています。

実際に、世界の農地の25%は、アジア、特に南アジアと東アジアに集中し、ここにはたくさんの川の流域もあるため、1年中を通して作物を作ることができます。

さらに、植物や動物の家畜化は基本的にアジアで始まったので、人口増加の面で、アジアは早くから有利でした。

ゆえに、アジアは長い間、世界で最も人口密度の高い地域となっています。

面積も重要です。

面積の問題

たしかに、パキスタンやバングラデシュのような国は農場が多く、人口が密集しているかもしれませんが、インドや中国に比べて面積が小さいため、単純に多くの人口を収容することはできません

もちろん、この数千年の間にインドや中国では他にもいくつかの出来事がありました。

なかには漢(王朝)の繁栄や香辛料貿易など人口の増加を助けたものもあれば、モンゴル属の中国制服やペストの流行など人口を減少させたものもあります。

しかし、インドや中国の広大で肥沃な土地は、多くの人々を維持することができたのは事実で、現代の人口増加の時代に向けて、幸先のよいスタートが切れたのかもしれません。

では、歴史をさかのぼってみるともっと分かりやすいので以下をみてください。

地理的条件(水、良質な土壌、快適な気候)

まず、地理的な位置に注目してみましょう。

社会が大規模な人口を維持するには、水、良質な土壌、快適な気候などが必要です。

主要な文明はは、まず川の周辺で生まれました

世界の主要な河川の地図を見てみると、10の川が氷点下の環境にあり、5つの川は農業には不向きな熱帯雨林の中にあります。

これらは農業には適していません

そして、他の人類から孤立した場所にある4つの川をのぞくと、大規模な文明の発展を可能にする川が7つ残っています。

そのうちの4つはインドと中国にあります。

これらの7つの川の周辺で、最初の文明が生まれたのです。

中国とインドは水資源で圧倒的に有利だった

インドには2億5500万ヘクタール(6億3000万エーカー)のヒンドゥスターン平野があり、これは地球上で最も肥沃な場所のひとつです。

ここは、古代文明の一つのゆりかごとして機能した優れた農業地帯でもあります。

中国には、ナイル川やアマゾン川に次いで世界で3番目に長い揚子江が流れる四川盆地と、6番目に長い黄河が流れる華北平原華北平原(かほくへいげん)があります。

この2つの地域は、農業用の水や肥沃土を供給し、また貿易や商取引のための川を提供しました。

現在も、これらの地域は世界で最も人口密度の高い地域の一つです。

中国だけでも、農業に利用できる川が5万本もあります。

他の古代文明と比較しても、中国とインドは圧倒的に有利だったのです。

エジプトは、ナイル川以外の地域は暑く、乾燥しすぎていて、イラクの文明も同じように苦しんでいました。

イランも古代国家ですが、主要な河川にアクセスできなかったため、同じスピードで成長することができませんでした。

これらの国々と違って、中国やインドは複数の川に頼ることができたのです。

アメリカのミシシッピ川流域は、不幸にも地理的な問題で人類の大半から隔離されていたため、中国やインドよりもはるかに遅れて文明が到来しました。

人が密集して定住するのに最適な環境とは

上の図の北回帰線(Tropic of Cancer)と南回帰線(Tropic of Capricorn)の間の緯度別に見た人口分布です。

これをヒントにすると、北緯30度付近が、ヒトが定住するのに最適な環境であることが分かります。
実際に、世界で最初に起きた4大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・​インダス文明・中国文明)も全てこの緯度付近にすっぽりとおさまります。

世界のほとんどの地域は密集した定住地としては適していません。

アラビア、アマゾン、カナダやアラスカの大部分、中央アフリカ、シベリア、サハラ砂漠などは、人類にとって過酷な環境です。

メキシコ、中央アジア、オーストラリアは、大規模農業を支えるだけの内陸水が十分にありません。

農耕地としてのメリット

世界の農耕地の20%は、中国とインドの国境内にあり、中国とインドは、いずれも耕作可能な土地面積において上位4カ国に入っています。

アメリカにも広大な土地がありますが、不幸にも病気や侵略の歴史によって先住民族は壊滅的な影響を受けました。

それにもかかわらず、現在のアメリカは3番目に人口の多い国です。

また、ロシアのほとんどの土地は寒すぎて一般的な農業には適していません。

オーストラリア、ブラジル、ロシアなどの耕地面積は国内の10%以下であるのに対し、インドは50%の耕地を持っています。

結果的に、インドと中国は世界の米の50%、小麦の30%を生産するほどになりました。

もし、大量の人口増加を維持したいなら、作物面積当たりで他のどの農作物よりも多くのカロリーを供給できる米はそのための作物として選ばれるでしょう。

米の生産が人口増加の要因にもなった

また、米は労働集約型で、収穫には大家族が必要です。

そのため、人々はより多くの子供を持つようになります。

米を生産している地域は世界でも人口密度の高い地域のひとつです。

対照的に、ヨーロッパでは、1500年代にアメリカ大陸からジャガイモが入ってくるまで、米のような優れた主食はありませんでした。

ジャガイモが来てからヨーロッパの人口は急増しました。

自然の地形が外部の侵略から守ってくれた

中国やインドには優れた自然の防御力があり、外敵の侵入を防ぐことができ、自国での戦争を減少させました。

インドにおいて、ヒマラヤ山脈は北側を守り、西にはタール砂漠とインダス川があり、東にはジャングルがあり、南から来る敵は船で来なければなりません。

中国は、北にシベリア、西にゴビ砂漠、そして南にはチベット高原、東には太平洋がガードしています。

これらの自然の境界線は、外部からのすべての侵略を阻止したわけではないかもしれませんが、困難をもたらしたでしょう。

最後に、彼らは中東とヨーロッパへのアクセスを持っています。

これにより、シルクロードのような東西交易路は貿易による富をもたらし、アイデアや技術の交換を可能にしました。

これは、アメリカ大陸やサハラ以南のアフリカ、オセアニアの文明が逃したものです。

大規模な農業社会が結びつきを強化「統一国家の礎に」

中国とインドは、どちらも最初の大規模な農業社会を築いた国のひとつです。

彼らが農業を始めたのは紀元前8000年から7000年頃。

恵まれた環境の中で、人口は急速に増加しました。

インドのインダス川流域では、メソポタミアとの交易で豊かになり、豊富な資源のおかげで人口が急増しました。

世界のほとんどの国ではまだ雨水に頼っていた頃中国は大規模な灌漑プロジェクトや運河を建設して作物の収穫量を増やしました

中国とインドはともに洪水に見舞われやすく、これに対処するために大規模な水利工事が必要だったのです。

これらの建設に必要な組織力と結束力は、初期の文明における文化的な結びつきを強化したと考えられます。

インドは紀元前250年頃にマウリヤ朝、中国はその直後の紀元前200年に秦王朝によって統一されました。

この統一王朝が、ヨーロッパのような小さな国家ではなく、今日のような巨大な国家が形成された礎となったのです。

疫病ペストの流行や外部からの侵略の影響が他国より少なかった

インドや中国の人口は増え続ける一方で、ヨーロッパでは疫病が蔓延していました。

東ローマ皇帝ユスティニアヌスの時代、6世紀には人口の50%(2500万人ともいわれる)を失い、14世紀の黒死病の流行では、8,000万人と言われていたヨーロッパの人口のうち、5,000万人が亡くなったといわれています。

また、モンゴル人はイランの人口の90%を絶滅させ、その他の中東やアジアの国々を荒廃させました。
両方とも中国にも影響を与えましたが、中国は早く回復したようです。一方で、インドはモンゴル人の怒りから逃れました。

アメリカ先住民にとっては残念なことに、ヨーロッパ人の征服と病気によって人口の99%失いました

近代化と国の政策による人口増加

17世紀までに中国の人口は1億5千万人、インドは1億人に増加。

歴史上のほとんどの期間で、この2つの国は世界人口の60%を占めています

インドは、古代から中世にかけて、世界最大の経済大国であり、世界の富の3分の1を占めていました。

先に産業革命が起こったヨーロッパでは、医学が寿命を延ばし、子供の死亡率を減少させました。結果的に、1700年から1900年の間に、人口は1億人から4億人に増加。

イギリスの人口は、19世紀に1,000万人から4,000万人に増加。

アメリカは1800年に530万人だった人口が、1920年には1億600万人に達しました。

近代化後は、出生率は低下し、人口は安定

しかし、アジアでは近代化が遅れたため、人口が増え続けました。

ようやく工業化が始まった頃には、すでに肥沃な地域は人で溢れていたのです。

中国の人口は、1850年の約4億3,000万人から1953年には5億8,000万人に増加し、現在は14億人に。
1750年に約1億2,500万人だったインド亜大陸の人口は、1941年には3億8,900万人に増加。

インド亜大陸の人口は、1750年には約1億2,500万人でしたが、1941年には3億8,900万人となり、現在ではインド、パキスタン、バングラデシュを合わせて約16億人となっています。

20世紀、中国の指導者である毛沢東は、できるだけ多くの子供を産むことを国民に奨励しました。

その結果、1978年に毛沢東が死去した後、中国では「人口調整政策」が実施されるまで、人口が急増しました。

毛沢東の死後、中国は一人っ子政策を実施しました。

インドの文化には常に大家族が存在し、この伝統は現代まで続いています。

インドでは、人口抑制策として、1970年代に強制的な不妊手術が行われたこともありました。しかし、一部の地域では、ヨーロッパ諸国と同等の出生率を誇っています。

インドの乳幼児の死亡率は医学の進歩によって低下していることを背景に、国連は、7月11日(2022年)の世界人口デーにおいて、インドの推定人口が2023年には、中国を超えて世界トップになると発表しています。

現在、中国とインドの人口は、彼らがいる大陸を除けば、他のどの大陸よりも多いのです。

つまり、中国とインドは、歴史的な背景や、戦略的に有利な位置にあることから、地球上で最も人口の多い国になることができたのです。

参照元:
Why Are China And India So Populated
Why Do India And China Have So Many People?