長距離マラソンで人間に勝てる動物はいるのか?チーターにもない人間の「走る能力」

人体の不思議

科学的にみると、人間の足は、短距離ではチーターにはかないませんが、長距離ランニングとなると話は別です。

人間が、直立二足歩行で42.195kmもの距離を平均4、5時間で、オリンピックともなると、約2時間で完走するという並外れた能力をもつのは、体が持久走に適応して進化したからだといわれています。

ここでは、他のどの動物にもない人間の「走る能力」について、長距離走に適応していった体やエネルギーの仕組みを中心に科学的に考えて、ジョー・ハンソン博士(Joe Hanson, Ph.D.)が実際にマラソン大会に出場して発見したことをあわせて紹介します。

紀元前490年、ピリッピデス(Pheidippides)は、メッセンジャーとしてギリシャ(ギリシア)軍のペルシア軍への勝利を報告するために走り続けました。

マラトンから首都アテネまで、これら2つの町をつなぐ距離は26.2マイル。

それは、ちょうど私たちがマラソンと呼ぶ現代のスポーツイベントの走行距離「42.195km」です。

このマラトンの戦いは、マラソンの名の由来となったことでよく知られていますが、26.2マイルを走ったピリッピデスが、アテネに到着すると力尽きて死んでしまったことはあまり知られていません。

なぜ世界には、過酷なレースにも関わらず、楽しみのひとつとしてマラソン大会に出る人が後を絶たないのでしょうか。

人間が進化で手に入れた「走る能力」

人間が、マラソンランナーになるための最初のステップは、上手に立ち上がることでした。

自然界では、エリマキトカゲやテナガザル、ベローシファカ二、ゴリラなど一時的に二足歩行できる生き物はいますが、常に二足歩行できるのは、ダチョウやペンギンといった鳥類やカンガルーなどほんの一握りに限られています

実のところ、私たちの祖先は、300万年以上も前に2本足で歩く能力を学んでから、それほど時間が経過しないうちに走れるようになったと考えられています。

「走る能力」は、長い進化の歴史でいえば、ほんの一瞬で手に入れた能力です。

この能力が、狩りをはじめ、生存優位に果たした役割は大きく、人類は長距離走に適した体によりいっそう進化させていきました。

長距離走大会における動物界の優勝候補はだれ?

たしかに人間は、短距離の全力疾走では、四足歩行の動物には負けるかもしれません。

しかし、仮に陸上で全動物参加の長距離走大会があった場合、人間は間違いなく優勝候補に名を挙げるでしょう。

地球上で最も完璧に作られたランニングマシンと呼ばれるチーターでさえ、2.5kmも走るとオーバーヒートしてしまうため、人間にはかないません

ほとんどの動物は、人間のように汗や呼吸によって熱を発散して体を冷やす体温調節能力をもたないからです。

おそらく、今日、最速といわれるオリンピックのマラソン選手を負かすことができる動物は、犬ぞりレースの犬種や狼、プロングホーン、ラクダ、ガチョウなどほんの一握りしかいないでしょう。

長距離走に適応するために進化させた体の部位

人間の進化論において、「狩猟の成功やごちそうを持ち帰るために私たちの体は長距離走に適応してきた」と考えられています。

頭部の発達

走るために脳は大きく発達しました。

頭蓋骨内の外耳道は、走行中のバランスの調整を助け、目の反射神経は上下の揺れに対応して頭を安定させます。

体温調節機能

汗腺が発達する一方で体毛は退化し、背は高く、体が細くなったことで、より多くの体の熱を発散できるようにもなりました。

脳からの血流が良くなったことも体を涼しく保つのに有利になります。

体の発達

腕は短く、足首は細くなり、手足のスイングにおけるエネルギーの効率性が上がりました。

そして、足の回転をうまく調整するために、肩は広く、腰は細く、骨盤は狭くなっていきました。

大きく発達したお尻の筋肉、大臀筋(だいでんきん)は、走行中の上半身を安定させ、走る時の衝撃を吸収するために、股関節や膝、足首の関節の厚みも増しました。

これらの関節を支えるひざから足首までの下腿が柔軟になったことも走行能力において大きな役割を果たしています。

私たちは走るとき、足運びのたびに最大で体重の8倍に相当する負荷が足にかかります

体重が80kgの人なら、足の負担は約625kgにもなるのです。

そのため、長距離を走るために、人間の足は、ショックアブソーバー(緩衝材)のように幅が広がり、面積が大きくなりました

アキレス腱の発達も忘れてはならない重要なポイントです。

その他にも、二足歩行で走る人間が発達させてきた筋肉として「ふくらはぎ」があります。

ふくらはぎの弾力ある筋肉は、心臓から遠く離れた足の血液を重力にさからって押し上げるうえで非常に重要な役割を果たしているのです。

私たちは、マラソンをはじめとする持続的な運動において、この第二の心臓と呼ばれるふくらはぎを使い、足首をレバーのように活用して、エネルギーの約50パーセントを次のステップにつなげています。

このようにして、化学エネルギーの代わりに、貯蔵された運動エネルギーを使うことによって、私たちはより少ない仕事でより遠くに行くことができるのです。

しかし、マラソンは、このようなゴムバンドのような弾力性だけでは走れず、パワーも必要不可欠です。

筋肉が動く仕組み

車がガソリンで走るのと同じように、私たちには細胞内に存在するエネルギー分子「ATP」が必要です。

横紋筋という筋肉を耳にしたことはあるでしょうか。

横縞模様のある筋肉で、足や腕など、基本的に私たちが動かしている部位すべてで見られる筋肉です。
この横向きのストライプ模様は、ミオシンと呼ばれる細いタンパク質とアクチンと呼ばれる太いタンパク質が交互に規則正しく配列してつくられています。

筋肉の収縮は、アクチンに結合したミオシンの頭部がラチェット(歯車の歯止め)のように動いて、アクチンを一定方向に引き寄せることによって起こされます。アクチンがミオシンに向かって滑り込むようにして筋収縮は繰り返されるのです。

この筋収縮を起こすミオシンマシーンは、車にとってのガソリンである「ATP」によって動かされています。

体内のエネルギータンクは数秒の運動分しかもたない

実のところ、私たちの体は2、3秒分のATPしか蓄積できません

しかし、ミトコンドリアと呼ばれる小さな発電工場がフル稼働して、生命活動の源である「ATP」を常に補充してくれるおかげで体を動かすことができるのです。

巨大な船を動かす何兆ものオールがミトコンドリアだとイメージすると分かりやすいかもしれません。

驚いたことに、42.195kmにもおよぶ長距離マラソンを走るためには、人間の体は、筋収縮のエネルギー源として約75kgに相当するATPを再合成するためにサイクルを稼働して、走行を維持しています。

この量は、成人男性の体重に相当するもので、私達の体が、いかにエネルギーのリサイクルに優れているかが分かります。

さらに、このようにして分解された75kgのATPが放出する自由エネルギーはは、なんと1キログラムのTNT爆弾に相当します。

筋肉を動かすエネルギーのつくられ方

人間の体は、主にクエン酸回路と解糖系呼ばれる異なる方法を相互に働かせながら生体エネルギー(ATP)を生産しています。

先程も触れたように、筋肉中のATPの蓄えは微量であるために、激しい運動をすると数秒で尽きてしまいます

ゆっくりとしたランニングであれば、クエン酸回路系(から電子伝達系)の能力内で時間をかけて効率よくエネルギーが補給されるため、1分子のグルコースから38ATPをつくることができます。

しかし、ずっとフルスピードで走っている(強度の運動)と、私たちの細胞は、エネルギーの供給速度が速い「解糖系」と呼ばれる方法でATPを補給せざるをえなくなってしまいます。これは、短時間でATPを補給するには適していますが、1分子のグルコースから2ATPしか生産できない非効率的なプロセスとなります。

さらに、解凍系でATPをつくると、どうしてもその過程で乳酸と呼ばれる疲労物質がたまってしまいます。乳酸がたまると、疲れだけでなく、筋肉や関節の痛みも感じやすくなります。

この乳酸を分解するには、炭水化物といった食事からブドウ糖を摂取し、筋肉に不足したグリコーゲンをためる必要があるのです。

マラソンとグリコーゲン(ブドウ糖)

私たちは、脂肪やたんぱく質などからたくさんの燃料を燃やしてATPをつくることができますが、運動における主なエネルギー源は、ブドウ糖です。

通常、ブドウ糖(グルコース)は、つなぎ合わされてグリコーゲンという長い鎖として筋肉中に貯蔵され、マラソンなど血液中のブドウ糖だけでは燃料が足りなくなったときに、必要に応じてその鎖をブドウ糖に分解してATPを得るために使われています。

そのため、マラソン選手は、燃料となるグリコーゲンをできるだけ筋肉中に蓄えておくために、「カーボローディング」と呼ばれる食事法を取り入れることもよくあるようです。

いかがですか?ここで紹介した仕組みが分かると、スポーツをするなら、体力や筋力をアップさせるだけでなく、エネルギーの保持力にも注目すべき理由が分かったと思います。

マラソンでよくある「エネルギー切れ」

たとえば目の前に、7枚積み重ねられた大きなワッフルがあります。

私たちは、マラソンレース前にこれだけ食べても、42.195kmを完走するのに必要なグリコーゲンをすべて保持できないので、レース中にも食べたり飲んだりしなければなりません。

そうしなければ、マラソン選手にエネルギー切れが起きて、走れない状態になるからです。俗にいう「壁にぶつかる」ときです。

体内のグリコーゲンがなくなることは、筋肉がATPを使い果たすことに直結し、酸素の取り入れにも影響します。

すると、ミオシンのラチェットがガソリン切れによってロックしたままになってしまうので、走行中に手足が思うように動かなくなってしまうのです。

その他にもエネルギー切れには、さまざまな原因が考えられます。

汗で細胞の塩分濃度が低くなると、ナトリウムやカリウム、カルシウムなど神経や筋肉の電気信号に必要なミネラル分が足りなくなり、情報伝達がうまくできなくなるのも原因のひとつです。

また、血糖値が下がると、ブドウ糖を主なエネルギー源としている脳が反応して、めまいや錯乱状態を起こします。走ることへの集中力も落ちるでしょう。

最後に

ジョー・ハンソン博士は、自身がマラソン大会に出場してはじめて、マラソンがこれまでに経験したどのスポーツとも違うことを発見し、次のようにいいました。

マラソンは、対戦相手との戦いではなく、いわば、自分との戦いといえます。

喜び、疲労、痛み。これらすべての感情は、あなたの心の中にしか存在しません。そして、その心は、筋肉や体内の化学エネルギー発電所、タンパク質などの働きに関係しています。

私は、自分の体についてこれほど理解が深まったことはありません。自分を生物学的な限界に追いやる過程で、私はそれが限界ではないことも発見しました。

マラソンは、私が二度としたくないだろう最も楽しいものでした。

中間地点を超えたあたりが困難なときであり、それ以降は、自身に対する競争、純粋な意志力でしかありません。

そして私は勝ちました。私は自分の心を打ち負かしたのです。

これは、なんともいえない最高な経験でした。皆さん、ありがとうございました。

参照元:The Science of Marathon Running