なぜ「塩コショウ」は食卓の定番となったのか?

塩コショウの価値と歴史食事・栄養

塩がなければ、味が物足りなくなり、私たちの食生活は成り立ちません。

しかし、数あるハーブや香辛料の中で、なぜ塩とコショウが不滅のペアとなったのでしょうか。

塩ターメリック、塩マスタード、塩クミン、塩ナツメグ、塩コリアンダー、塩パプリカ、塩シナモンでもいいと思いませんか?

以下に、塩とコショウがどのように価値を見出され、食卓になくてはならないものとなっていったのかについて歴史をさかのぼって紹介します。

塩は体に必要なミネラル

そもそも塩とは何でしょう?

塩は、食べることができる鉱石です。具体的には塩化ナトリウム。

塩化ナトリウム NaCl は、ナトリウムイオン Na+ と塩化物イオン Cl- からなる物質です。

私たちの体はこの2つ(ナトリウムイオン Na+ と塩化物イオン Cl-)を使って、細胞を膨らませたり、血圧を調節したり、神経の電気信号を全身に伝えたりしています。

この機能を維持するために、私たちは毎日約6g程度の塩化ナトリウムを摂取する必要があるといわれています。

塩の価値は高かった

塩の料理的、文化的価値はきわめて高く、その歴史は本が一冊書けるほど。

初期の狩猟採集社会では、必要な塩分はすべて動物性食品から得ていたそうです。

現在でも東アフリカのマサイ族は、家畜の血を飲んで塩分を得ています。

しかし、人間社会が植物を育てて食べるようになると、塩は自分で見つけるか、取引で手に入れるようになっていきます。

塩は、海水を蒸発させたり、地殻に鉱物として存在する純粋な塩化ナトリウムを採掘したりして取り出されます。

動物の足跡をたどっていくと、天然の塩田にたどりつき、そのいくつかは(塩の生産で繁栄したリューネブルクとリューベックを結ぶ塩街道のように)初期のハイウェイにもなりました。

塩を中心に経済全体が成り立っていたのです。

塩は商品であり、通貨であり、食材だった

ローマ帝国の戦士は、給料として塩をもらうこともありました。

苦い野菜に塩をかけるローマ人の習慣は、私たちにサラダをもたらしました。

現在、塩は安価に製造できるため、多くの人が食べ過ぎの危険にさらされています。

しかし、産業革命以前は、塩をめぐって戦争が起こるほど、塩は希少なものでした。

少なくとも1つの革命が起こったほど。

植民地時代のインドで、塩の生産を独占した大英帝国に対して、ガンディーが革命を起こしたのです。抗議行動として約386kmを行進した「塩の行進」。

食卓での塩の役割

冷蔵技術以前は、塩漬けは食品を腐らせないための一つの方法でした。

有害なバクテリアの多くは塩分の高い環境では増殖できないからです。

しかし、塩を使うことで、私たちの食に対する感覚が変わります。

塩辛く感じるだけでなく、塩は、他の味を際立たせることもできるのです。

塩化ナトリウムは、苦味の受容体を化学的にブロックし、甘味、塩味、うま味の受容体を増幅させる働きがあり、食品に使用するタイミングや方法によっては、化学的性質そのものを変化させることができます。

塩は、おそらく地球上で最も重要な食材です。

そして、コショウ。

コショウも塩と同じくらい興味深いのです。

コショウはどうやって食卓の定番となったのか?

黒胡椒は、東南アジア原産のつる性植物の花から採れる果実です。

その辛さは唐辛子のカプサイシンとは異なり、ピペリンという化学物質から得ています。

コショウは、少なくとも4,000年前からインド料理でよく使われていました。

そして、少量の黒コショウがギリシャ、ローマ、そして古代エジプトにも伝わり、ラムセス2世のミイラの鼻に詰められるほど当時のコショウの実は貴重だったようです。

その後、アジアとヨーロッパを結ぶ香辛料貿易の主要な商品となり、他の刺激的な香辛料と同様に、食べ頃を過ぎた肉のくさ味をごまかすために使われました。

中世の富裕層の料理には多くのスパイスが使われていましたが、特に黒コショウの人気が衰えないのは、ある偏食家のおかげかもしれません。

ルイ14世です。彼は、塩と胡ショウだけで、味付けを薄くすることを望んだそうです。

その時に開発されたフランス料理が、現在の私たちの食卓の基礎になっていると考えられています。

以来、私たちは、塩コショウの虜になり、虹のようなフレーバーに目を向けることが減りました。

参照元:Why Salt & Pepper Ended Up On Every Table