なぜ「利き手」がある方が「両利き」より有利なのか?

2021年6月11日

私は、文章を書いたり、パンケーキをひっくり返したり、握手をしたりするときは、反射的に右手を使います。

なぜなら、私の左手は右手とほぼ左右対称であるにもかかわらず、このようなことがとても苦手だからです。

他の多くの動物にも、いわゆる「利き手」があります。

たとえば、ゴリラは手先を使う作業では右手を使い、オランウータンは左手を使いますし、オウムは左足で種を持ちます。

確かに、左利きの動物と右利きの動物がいるのは不思議ですが、さらに不思議なのは、人間にも左右の手に好みがあるということです。

もし、「利き手」がよい働きをするのなら、なぜ両利きではないのでしょうか?

その答えは、どうやら脳やエネルギーの効率性の問題にあるようです。

今回は、なぜ利き手がある方が有利なのかについて科学的に分かりやすく紹介します。

右利き|左脳から右手への指令が送られる


ほとんどの動物の脳には、ほぼ独立した2つの面があり、左脳(論理的指向)と右脳(直感的指向)でそれぞれが役割を分担して機能を果たしています。

そして奇妙なことに、右脳では左半身を、左脳では右半身をと、体のそれぞれの側面をコントロールしているのです。

例えば、私が自分の名前を書くとき、左脳のニューロンは右手のニューロンに電気信号を送ります。

しかし、この神経回路を構築して作動させるには、多くの時間とエネルギーが必要です。

その手足をまともに動かして書けるように訓練するには、さらに多くの時間がかかります。

利き手は、脳の情報伝達とエネルギーを効率的にしている


人間の脳は2面性を持っているため、左手できちんとした文字を書くためには、まったく別の回路が必要で、それを構築し、操作し、訓練するためには、さらに膨大な時間とエネルギーが必要です。

これでは、構築、運用、トレーニングに膨大な時間とエネルギーがかかってしまいますね。

それよりも、1つの回路に頼って書いたほうがはるかに効率がいいのです。

さらに、その回路を使えば使うほど、脳から右手への神経接続が強化され、右手の器用さや運動能力がより優れていき、他の作業や仕事にも役立ちます。

利き手は仕事の成果を上げる


この効率論はまだやや理論的なものですが、あらゆる種の動物調査から得た証拠により、利き手がある方が有利であることが示されています。

小石と種を混ぜてエサを探すテストをオウムに行ったところ、左右の手の好みがはっきりしているオウムとそうでないオウムでは、利き手があるオウムの方が2倍の成績を収めました。

さらに、難しい課題が与えられ、鳥たちがひもで吊るされたおやつを取るために一連の協調動作をしなければならなくなったときには、利き手の好みが強い鳥は巧妙な解決策を見出すことができました。

利き手の反対側の手は、異なる役割をこなしている




見てください。オウムがこの複雑な課題に取り組むの間、「利き手ではない手」にも重要な役割がありました

私たちが、右手で書く時に左手で紙を押さえたり、右手でシャッターを押すときに左手でカメラを支えたりするのと同じように、オウムは左手でたぐりよせた紐(先にエサがある)を、右手で落ちないように抑えていたのです。

オウムにとっての右手(利き手の反対)は、文字通り脇役であることが多いのですが、これらの仕事にもそれに応じた脳回路が必要です。

たとえば、画用紙を丸く切り取るとき、右手に持ったハサミの方向は、左手で画用紙を回すことでうまく機能しますね。

つまり、私たちのいわゆる "弱い"面(利き手の反対)は、実は弱いのではなく、異なる仕事に最適化されているだけなのです。

なぜ左利きが少ないのか?


利き手がなければ、釘を打つことも、ギターを弾くことも、野球のボールをキャッチして投げることも、剣と盾を巧みに操ることも、その他の仕事も今よりうまくできません。

そうなると、私や多くの人間がそうであるように、なぜ右手で鉛筆をもつのか、左が利き手の人が少ないのかという疑問は残ります。

たしかに、道具を扱うにも社会生活をしていくうえで、同じ利き手同士の方が効率がよいといえますが、一方で、スポーツのような競争社会では左手の方が有利にも働きます。

科学者の中には、この社会性と競争のバランスの中で進化的に自然と右利きが多くなったと考える人もいます。

利き手の原因


実のところ、ヒトの利き手は、遺伝的要因(生まれつき)が1/4程度で、ほとんどが生まれ育つ環境が関係していると考えられています。

オックスフォード大学の研究によって、細胞骨格(細胞の変形や形態維持を行う細胞小器官)の突然変異が関係しており、脳の白質の構造を変更していることも分かってきました。

しかし、それらはまだ利き手について理解するにはほんのスタート地点に過ぎません。

いずれにせよ、人間の体は本当に不思議なもので、研究すべきことはまだたくさん残されているのです。